大阪のサルサの私の知っている歴史
あいまいだけど…
15年ほど前、帝国ホテル大阪の地下にカルロス・菅野さんのプロディュースで「パタパタ・デ・ラ・サルサ」っていう場が生まれた。その時、プエルトリコ系のニューヨークで活躍していたグループが火曜日から日曜日までサルサのライブをしていました。
そのまま日本に残って活動し続けているのがセンサシオナルのベーシスト「イスラエル・セデーニョさん」と歌手「マニー・メンデスさん」。月曜日のバンドは山田さんのグループ「コンフント・マンボラマ」(この頃のピアニストは今、東京⇔大阪で演奏されているスーパーピアニスト「中島徹さん」。
主なサルサダンス教室はニューヨーク系の「チェベレ」。
「パタパタ」があったから
サルサのダンスをする人と
サルサ・音楽を好む人と
サルサ・ミュージシャンの交流生まれた。
あー、ペルー人達との交流も。
それ以後、ダンス教室は
「チェベレ」出身の方々や
移住された外人の先生が増えていった。
後、「パタパタ」がなくなってしまった。
(今も別のかたちであったらすみません。)
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今はネットコミュニティが盛んだけれで楽しいけれど…
でも…
同じ空間
同じ喜びを
味わうコトには代えられない。
なんて思う今日ですわ。
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